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終わらない砂時計

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2009-06-09

サトリの時間

00:39

最終ラウンドメテオを引き打ちされて二位転落するたび、
アイタタタ、なんてツイてないんだと気落ちしてしまう。

残り3ラウンドマッチレースで自分ばかり特殊地形踏み、投資合戦で競り負けてしまうたびに
ダイス目さえよければ俺が買ってた」と心の中で呟く。

よくよく考えればテレポートリコールといった投資機会を作る手段が不足していたり
ディスカードやルート選択を誤ったり……
そうした客観的反省よりも、平均ダイス目が明らかに自分だけ小さいだとか、ラントラ直後に限って場にドレインマジックが出るだとか、主観的なデータばかりちらついて苛立ちを押さえられない。

長い間読まずにおいた本の上にほこりが降り積もるように、そのようにして敗北の原因と分析から目を逸らし、不平不満の言い訳を思い浮かべるうちに負け癖というものがついてしまうのだろう。

マップ研究もせずに対人戦で磨いたスキルだけでいい勝負ができる、そうさ、俺も一端のセプターだぜ、などと意気込んであっさり負けてみると、そう、ふいに冷静になる瞬間があった。
うまくいかない仕事の疲れをアルコールで洗い流し、多少は軽くなった頭でwi-fiだれでも対戦に接続して、そこでの対戦で順当な判断を繰り返して順当に負ける、その過程と結果の間にはきっと私の全人生的な問題が影を落としているのだ。

一つ一つの丁寧な判断と先の展開を読むための計算力をばかり重視してきたが、今の自分に最も必要なのはそれらの行為の背面を貫通する哲学の道を敷くことだと思う。
200枚のカードと・不規則な4個のダイスと・4人の思考とによって、あらゆる決断が不安定なカルドセプトという世界の盤上で、“達成”という終局へ向かうための、勝ち負けの拘泥の上に敷く確かな道のり。それは日常生活へも延長され、または日常から延ばしてゆくべきもののはず。

今ではあまり対戦数をこなせなくなってきたが、カルドセプトに向かう姿勢の面において、一人の熱心なセプターであることを止めないでいたいと思う。

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