2009/01/10
武者震い
本選の出場枠も残り少なくなり、ますます激戦なこの頃。
何年も顔を見ていなくても、それでも全然変わっていないだろうかけがえの無い昔からのセプター仲間。
サーガやDS版からの、オンライン対戦やセプト部を通じて繋がったまだ顔を見ぬ、セプター仲間。
こちらが一方的にマークしている方も、ココをROMしている方も居るだろう。
どうしても身内びいきになってしまうところもあるけれど、
つながりの深さに関係なく、全てのセプターにエールを贈りたい。
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これまで全国大会本選の会場に足を運んだセプター達の間で、「や、どうも」の一言でどれだけ緩くて深い出会いと絆が生まれてきたことか。
そこに出場選手として居る。真剣勝負に挑む。
一度味わえば手放したくなくなる、甘美な名誉と歓喜。
執念があるからこそ、道程が苦行に感じる時もある。
んー、それでもやっぱり、予選は突破したいな。
本選出場が決まった人達の老婆心な暖かいメッセージを読んで。
「く、なんだこの余裕っぷり・・・ 一体どんな心境で書いていやがるんだチキショーめ ・・・まったく牛丼が目に沁みらぁ。 ・゚・(ノД`)・゚・ 」
よし、自分も予選が終わる前の今のうちに何か書きたいな。
でも何時間かけても断片的にしか、連ならない言葉。
そうか、こうゆうことなんだろうな。
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第2回のWi-Fi予選、幸いなことに私はここまで途中切断に遭遇していません。
不正行為も仄聞しますが、全体的には熱く、気持ち良い対戦が随所で繰り広げられていそうで、なによりだと思います。
自分もスローペースですが、存分に予選を楽しんでいます。
「あら、またやっているの?」とヨメさんに苦笑されながら
マッチングを待つ不安の混じった高揚感。
ヨシこれで勝てるという道筋が見え、慎重に仕掛ける間合いを計り妨害をかわしてゴールした時の達成感。
例えばセプターポイントが1万超えているような、猛者達の圧倒されるブックやプレイングに感心しつつ、なんとかしがみついていく大激戦後の虚脱感。
負けた時の絶望感。
それでも、気力を振り絞り敗因を探して自己を叱咤します。
周到な準備も綿密なプランも、まったく不足している。
経験値や地力だって、メッキもの。アヤしいもんだ。
そう自覚している私ですが、それでも出来ることは、焦らず、流されず自分のペースでプレイするだけです。
少しでも長くこの過程を楽しみたいですね。
一戦が終わると、毎回全身が震えています。
慎重に埋めている筈の対戦結果記録には、記載漏れがよくあります。
第1回Wi-Fi予選、2勝から3連敗して、それから毎日一戦ずつ
5連勝したときの緊迫感は堪らなかった。
また、それを味わっている。幸せだ。
いい歳したオッサンの、たかがゲーム大会への、この思い。
大きな声で自慢できることじゃない。
でも、得難い経験です。必ず自分の芯を太くする。
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あー、ドン引きされるのは仕方ない。敷居みたいなモノを感じさせたら申し訳ない。
いや、気軽な気持ちで予選フロアで楽しく遊んでほしいです。
ヘンな打算とかじゃなくて素直にそう思う。
とにかく、ありがとう。本当に感謝するばかりです。
「カルド、サイコーッ!」
「ピコーン!」
・・・あれ、フラグ?
なんだろう、いやな予感しかしないね。
2008/12/21
Wi-Fi予選 "黒"分析
とにかく「答え」を出す。間違いは承知で。
さーて、たかが十数戦の経験だけで、周囲の影響受けまくりつつ Wi-Fi予選を語っちゃうぞっと。
ボードorカード
カルドセプトは「トレーディングカードゲームとボードゲームの融合形」ですが、その二者の違いにピンとくるでしょうか。
自分は「基本的に2人戦か多人数戦か」「大きく"不公平"が生じるのがゲーム開始前か開始後か」といった点がカルドセプトを理解するのに重要だと考えています。
今作は「ボードゲームの比重が高め」でしょう。これは感覚的なもので「何故?」というのは上手くまとまりません。それでも微妙な判断基準としては、こんな感じでした。
ブック相性や強弱が勝敗に直結しない多人数対戦かつ淘汰が激しいトーナメント予選ではない点も重要かと。
敢えて言おう、カスであると
本人が望まなくても結果的にそうなってしまう切ないケースもありますが、不特定多数が参加するオンラインでは積極的にそういうプレイを志向するプレイヤーが目立ちますね。DC版セカンドや箱丸版サーガでも、言われていたことです。
そういうタイプのプレイヤーが居るということに目を背けない分析と対策の話は、人それぞれのカルドの否定、プレイヤーとしての格がどうのという問題ではありません。
まず、受け止め方。
他者の不利と自分の有利がゼロサムという利得計算・自他共に最善を尽くすプレイヤーの行動原理が前提の、ゲーム理論の基礎的な思考の限界を認めないと。
「こんな筈じゃない」カルドセプトに戸惑う貴方、気持ちはとても良く分かります。
でも、それでは黒さが足りないの d(^∇^o) ウフフッ
他にもチートによる不正やプレイマナーの悪さ、故意・事故による切断、マッチングや集計が不全のサーバの問題、うーん、なかなか大変です。
呑みながら誰にも聞かれないようにグチれ。根っこから揺らいでは駄目だ。
「自分はタフだ」と言い聞かせたら
ブックにセーフティ要素を増やす、悪目立ちしないプレイング、ギリギリまでの辛抱、仕掛ける時の大胆さ。
+αの強さを持つプレイヤーとそうでない者の違いの一つに「緩急」があるでしょう。
そのベースには画面から相手のブックやプレイング、起きうる先の展開までを読んでプランニングする能力があります。
で、その先読みとゴールプランについて、今回の予選では精度より範囲の広さが大事だったのかな、と。
- ざっくりと全体を見て、致命的かどうかで放っておくこと
- 最善の手順・効率に拘らない、焦って無理をしないこと
- 理解し難いことに目を奪われてしまわないこと
「コイツ、○○しか見てねぇ」と感じたら、自分も視野狭窄になってないか客観視しましょう。
- 「盤面上の会話」で「操作しよう」と欲をださないこと
あくまでさりげなく、煩くならないようにお願いしますね。
それよりは「読み取り」に集中したほうが良さげかと。
サドンデスは突然起きない。
「風来のシレン」に通ずるような、危機察知の感覚を少しずつ取り戻していきたいなというのが自分の課題です。
全てを受け入れて、抗え
規定10戦終了時点で、6勝4敗。あと1敗するまで続ける意義はありそうですが。。。
開きなおって、ようやく対戦を楽しめる気もします。
むむ、どうにも抽象的でイカンな。
使用ブックなどは予選終了後に。
2008/12/06

入口を大きくアケローン
冥界と現世の境界っていうと怖そうなイメージですけどね。
・部室の扉の敷居をもっと入りやすくしよう
なんて企みの部活動を私は勝手に応援いたします、な話。
ハイプサイクル(hype cycle / ハイプ曲線)というIT業界の用語があります。
話題や評判が先行する新技術が実際に普及するまでの間、その期待が時間経過とともに、どのように変化するかを示した図、またはサイクルのこと。
ごく単純にまとめると、このような感じでしょうか。
・「過度に期待された」時期"流行期"
・「実際は大したことない」とバッシングされる"反動期"
・実態に相応しい安定した地位を得るようになる"安定期"
・”流行期”が無い、”反動期”で滅びることも良くある
・評価対象が、どのフェーズにあるか見極めましょう
ふむ、なんだかブックの流行り廃りにも当てはめることができそうです。
ま、でも「メタゲーム」の話は脇に置いときましょう。
「カルドセプトDS」そして「セプト部」のハイプサイクルについて考えてみます。
まず、カルドセプトDS。
ソフトの売り上げ本数の推移は、一段落しているでしょう。
全国大会のWi-Fi予選がはじまり、オンライン対戦人口はまだまだ多いと思われますが、故意と思われる切断などに幻滅しているプレイヤーも多いかと思います。
すでに流行期から、反動期への下り坂を転がっていると見ています。*1
比較的ライトなプレイヤーは自分の好みの対戦条件で試合ができないノーマルフロア、マナーに問題のあるプレイヤーが少なからずいるランキングフロアに耐えられないでしょう。
コアなプレイヤー層は萎える要因が多い野良対戦よりフレンド戦に閉じこもっていく流れが否定できません。
二極化。
「一部の」熱狂的ファンに支えられるカルドセプト。これまでも、いつまでも。
そして、セプト部。
部員は順調に増加していますが、組織の拡大につれ、やはりアクティブな層と幽霊部員への二極化が進んでいないか、といった懸念が浮上してきました。
まだ流行期の頂点に達したとは思いませんが、母体のカルドDSが反動期で縮もうとしている今、まだ追い風のうちに中身を充実させる必要がありそうと危機感を抱いた方達が、色々動き出しています。
それが、セプト部保健室(仮)であったり、90秒熟考対戦 (仮)であったり。
自分はセプト部に、オンでの「ゆるいつながり*2」を提供しつつ、いつの間にか底無しの深淵に引きずりこむような、ポータル的な役割をすごく期待しています。
で、新しいセプターとの交流を純粋に楽しみながら、自分が育てられたお返しをコピーレフトしたい。
多くのセプターが大会モードの現在、新しい企画は時期が悪いという一方、今の状況を良く見て、やるべきこと、やれること、を考えて協力したいですね。
なんか改めて文章にしてしまうと押し付けがましくて、恐縮ですが。
そこでROM派の方達に向けて、編集班あたりの動きを追いかけて意図を考えてみると面白いかもしれませんよー、と虚空に語りかけているのです。
地方予選会場に足を運んだりするのも、カルド好きなら一度やってみて損はありませんよー。
自分も舞台に上がってみると意外とハードル低くて思った以上に楽しいものです。
まずは「部室に足跡残す」ぐらいでも反応あるかもしれませんね。
2008/11/28
プレイヤー「個」の境界線
WARNING! モヤモヤっとした話です
「ゲームの遊び方なんて個人の自由」は大前提です。
「手段を選ばず最善を尽くして勝利する」は実に正しい。
といっても、「ソフト改変等によるチート」は論外です。
「故意の切断」「対人戦中の放置」「異常・不快な言動」を繰り返すプレイヤーとも一緒にプレイしたくはない。
そういう話とはまるで違う次元のことだと、前置きします。
超金満なセプターが居たとしよう。
彼は優秀なセプターを何人もスタッフに雇い、対戦中に助言を受けながらプレイして優秀な成績を残した。
ルール違反かどうかといえば、違反ではないだろう。
とはいえ、何か釈然としないものは残る。
世の中、どこまでも公平なんて望むのは無理なくらい難しいとしても。
「口ハウント」について、自分は基本的に否定的な立場です。
それは「不快な思いをする人もいる」というプレイングマナーの問題の他に、ゲームの本質から逸脱した手段のように感じているからです。
「ゲーム」はルールによって作られた箱庭的な存在である。
プレイヤーが異物(ローカルルール)を持ち込めば、それはピュアな「カルドセプト」ではない。
交渉がメインのボードゲームであっても取引できる範囲は定められていて、例えばモノポリーでは「将来の通行料見逃し権」などは認められない。
さて、カルドセプトで交渉をして良い内容やタイミングはどこにあるのだろうか?
(昔、自分が書いた文章の一部抜粋)
普段のカジュアルな対戦では、自分も口ハウント大好きです。
色々、しゃべりながらのプレイはとても勉強になります。
それでも、肝心の勝負どころでは皆押し黙っていることが殆どです。
ゲームで順位を競う主体は、プレイヤー本人の頭脳そのものであってほしいという期待があります。
ゲーム画面から得られない情報をプレイ中に仕入れるのは、その情報元が観戦者であろうと他のプレイヤーであろうと、一種のカンニングではないだろうかと。
さて。
メモ用紙。忘れがちな相手のアイテムを記録する。
電卓。ギリギリ目標魔力に届くかどうか計算する。
普段は使わないコイツらの出番は近々あるのだろうか。
セプター「ぷちなん」の一部に含めていいのだろうか。
セガ本社の壇上でヘッドホンする脇に置くつもりなのか。
対戦中に傍らのノートPCで過去の棋譜を検索するプロ棋士、なんて話は聞いたことが無い。
一方、MtGでは、相手のデッキをサーチしたら全部メモるのが当たり前となったらしい(*1)。
コンセンサスが得られれば良い、という問題なのかなぁ。
顔が見えないオンライン対戦、ってのがまたヤヤコシイ。
昔は道具使用を躊躇するなんてこと、無かったんですが。。。
それが、真剣勝負の季節がくる度にこの記事と同じような内容を何度も自分の中で焼き直すようになっている。
毎回、なにも見ずにゼロから全てタイプし直している。
全国大会への思い入れは山盛りにあるのに、ナナメ上の寄り道になることに時間を掛けて、迷走する。
なんという、ゴールプランのセンスの無さか。
あ、鼻血。疲れてるなぁ。
ま、このプレッシャーが心地いい。さぁ、楽しもうか。
*1:何年も前の仄聞なので実情とは違うかも。モノポリーや棋士の話も同様
hsu_mai どうも初めまして、hsu(しゅう)と申します。どこまでを「プレイヤーの力」とみなすのか非常に考えさせられるエントリでした。
個人的には口ハウント肯定派です。多分私がモノポリーやカタンをバックグラウンドにしているからでしょうね、多人数ゲームは各プレイヤーと交渉したり行動をコントロールしたりするのが力量の1つという感覚があります。だから大会決勝でヘッドホン着用、というのはむしろ意外な印象。ここはどういうゲームに親しんできたかで感じ方が違うのでしょうね。
「メモやガイドブックがセプターの力量か」というご指摘はかなり納得しながら読ませていただきました。でもオンライン対戦では物理的に禁止できませんしねえ、そう考えると一手30秒以内というのはなかなかいい落としどころのような気がします。
NamelessMTGプレイヤーから
MTGはライフをチェックするのが個人間で行われるので対戦相手の計算間違えなどを防止するためにもメモは当たり前になってますね。
コンピューターゲームではないので「指定したカード」などをゲーム中記録する媒体にもなります。
つまりゲームのアイテムの一部なんですね。
今では時間制限や適切なプレイの進行でデッキを見る際に全部メモ・・・ということはありませんね。すばやく出来るプレイヤーならやるんでしょうけど
もちろん手札を見たときの簡易メモは必須と言っていいぐらいですが。
MTGも一つ一つのテーブルに絶対にジャッジが着くようになればそのあたり変わってくるかもしれませんけどね。不可能ですけど。
っと、MTGの話ばかりしてすいません。
このあたりのグレーな話は公式とかがプレイヤーと会談とかすると一つの記事になって非常に面白いんですけどねー
大宮さんがやってくれないかな。
putcharコメントありがとうございます。
ボードゲームにしろトレーディングカードゲームにしろ少し齧った程度なので、そちら方面のプイレヤーの見識は参考になります。
ファミ通杯会場では「攻略本の参照、メモ書きは禁止」と事前に通達がありました。
公式見解はどうなのか、という参考になればと思います。
ShunTheWanderer凄く興味深いテーマですね。
僕も普段ワイワイやる分には、色々ためになるので賛成。
大会とかは将棋の対戦のように、静かな緊張感の中でプレイしたい派です。
思い出したのですが、名古屋大会では上記の他、電卓・予約特典(笑)も使用禁止でした。
Yuki-a-MASその場で定義してあるなら、その場の規則に従うこと。
その場にジャッジが居るなら、ジャッジの判断を仰ぐこと。
誰も審判がいないなら、もてる全ての手段を用いても良い。
金満プレイヤーの話ですと、不快に思う人間はいるかも知れませんが、
私個人としても「アリ」かなと思います。
あと、他面打ちやタッグも、やられると相当へこみますが、「アリ」かと。
不公平だ!と叫んでも、プログラム介入の他は、何一つ、
止める根拠がないのですから。だから、アリかなぁと。
ただ… 勝った先に何があるのか。
それが一番の問題かなぁ?
電卓に頼るプレイヤーがレギュレーション変化で電卓禁止になったとして。
レギュレーションの変化に文句を言うならどーなのよって感じですし。
自分のスキルを磨きに磨いて、オールラウンダーとして戦えるのが、
文句なく一番最高のセプターでしょう。
先日のファミ通カップでは貴重な名詞をいただきありがとうございました!
お誘い頂いたセプト部、12月に入りアカウント作成できました。今はみなさんの日記を興味深く読ませていただいてます(ROMにならないようにがんばりたいです)。
オンラインに参加している人数を知るには公的情報としてはランキングの最下位の方の順番(あとカルド総研に出た情報)しかないですが、それを見る限りでは、10月どっと来た後、11月に入り安定して参加されているように思いました。私も身の回りの人たちにカルド買わせ運動してます。(2名買いました~)買ってはまりそうな人の感じがだんだん分かってきました。
それはそうと、あれから、サーガの完全攻略本も入手したのですが、「ぷちなんさんも、この書籍の作者の方々のお一人だったのか。。。」と、感慨新たに致しました。
今後とも、よろしくお願いします。
東京予選の時はどうもです。
「カルドで人生が変わった」一助になれば幸いです。ニヤリw